2005年03月24日

人権擁護法案を考えない。

既に旬の時期を過ぎているが、人権擁護法案について考えなしの骨髄反射発言をしてみたい。私の骨髄は反射するのである。光とか。

大抵の指摘はなされているが、気になるのは法案の保護対象が不明瞭な点であろうか。判りきったことだからなのか、あまり批判されていないことであるが保護対象が在日挑戦人や童話地区の人々ということが定説になってしまっている。私はそこに違和感を感じる。

大本営からのコメントにも、保護対象は「弱い立場にある人々」を強調している。だが、果たして部落解放同盟や朝鮮総連として組織化された上記2者が弱い立場と言えるだろうか。日本でも少数派であり組織化が難しい黒人や、そもそも自ら訴訟するにしても不自由することのある障害者の方が被差別対象としてより重視すべきなのではなかろうか。そのあたりの弁明はあまり聞こえてこないようである。

反対者たちの意見をうけ、仮にこの法案がカルキ抜きされたような内容になったとしたら、結局その意義に疑問が残るのである。なぜなら実行力を持たず、真に弱い立場の人々への救済措置は人権擁護法案を待つまでも無く動きがあるし、逆にああいった法案を作っても強制力や罰則では差別の本質である差別意識そのものは消せないからである。

差別の拡大と、急速なトーンダウンの判りやすい例はハンセン病であろうか。いずれ別枠でまとめたいが、差別には幾つかの原因が考えられる。ハンセン病ではその中で最大のものであろう「自己の利益」が関わる。感染するといわれていたからである。ヨーロッパでの黒死病の流行においても同じようなことがあったし、わが身かわいさからの弾圧は、純粋な差別とは少し異なるものであるようにも思われる。現在でもなお消えないハンセン病への差別が純粋差別量であり、[(伝染するといわれていた時期の差別量)−(現在の差別量)=保身からくる差別]といったところであろうか。

差別に対する対処は多くの場合差別意識そのものには有効ではない。その結果不思議な形で反対運動が展開されることがある。人権擁護法案もそういった効果しか無いのではないのか?たどり着くのは表現規制でしかない。

差別に対しての最も有効な対処は結局、一つにはハンセン病の時のような法律をはじめとする現実的な不平等の解消ということになろう。それでも解消しきれない差別意識には地道な努力しかないだろう。イメージの問題なのであるから、イメージアップしなければならないが、それは北風より太陽の仕事である。威力団体に更なる威力を与えることで変わるとは思えない。

と、このあたりのことはもしかしたら大半の人は承知していて省略しているのかもしれない。この法案が本来のお題目通りの役目を果たせないと読むからこそ別の目的があると勘ぐっているというわけである。

最後に、差別意識が微妙である例を示しておきたい。
posted by князь Мышкин at 01:04| ブリスベン | Comment(0) | TrackBack(0) | 一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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