2005年03月29日

人権擁護法案の落としどころ

飛車角取り、という状況がある。飛車か角、いずれかを取られる状況で、状況に応じてどちらを手放すか熟考せねばならない。

では、飛車香取りならどうだろう?相手を投了させる詰めの段階でもない限り、香を取らせることになってしまうだろう。

さて、人権擁護法案に反対する立場の論点に若干の個人差が見られるようである。まずはそれについて考えたい。

反対の意見は何やら二つに分かれているように思われた。一つは特定団体を擁護するような法案であるという理由。もう一つは治安維持法的な運用がされてしまうという理由である。この法案がこのまま可決されても、特定の団体、特に部落解放同盟や朝鮮総連を優遇するような案件にするのは困難であろう。私がそう考える理由は単純である。そんな法案を作っても議員側の利益がほとんど見当たらないのである。

まず、同和地区の人口である。昭和37年と古い調査結果しか見つからなかったが、およそ110万人である。これはあくまで地区内の人口であるし、その後の人口増加もあるであろうが、せいぜい200万であろうか。これでは集票組織としても小規模すぎるのではなかろうか。資金源としても、部落の問題の一つは貧困であるはずだからやはり説得力に欠ける。こんな話もあるがこのデータが真実としても(そもそもひどく疑わしい)、それは就職が困難でやむなく参加したような人であろうし、暴力団幹部にまで上り詰めて資金提供した結果有利な法案を取り付けたとは考えにくい。
そして在日韓国、朝鮮人には参政権が無い。この時点で(今現在の)集票力が限りなく0となってしまう。

この点ではむしろ創価学会あたりの方が言論を封殺するメリットがあるのではなかろうか?会員数は1700万人とも言われ集票力、資金力は周知の通りであり、しかもアンチ層も多いのである。賛成派議員の所属政党は…とりあえず見なかったことにしょうか。ついでにこんな話もあるが、現時点ではやや陰謀論めいているので考慮しない。

しかしこれを配慮しても、やはり考えたいのは作用と副作用のバランスである。

この法案が本格的に効力を発揮する為にはよほど苛烈な言論統制をすることになるだろう。まず第一の可能性として、全ての差別的表現に等しく過度な規制をしたとしよう。そうすると表現にまつわる多くの業界が冷え込み、日本経済にも相当なマイナスになってしまうのではないか?かといって利益に関わる創価関連なりの批判を限定的に封殺できるだろうか。その場合特定の批判だけ規制されているという批判までも規制しなければむしろアンチ創価などを一気に増やすきっかけにしかならないだろう。この場合規制対象の情報は少ないが、より完璧な隠蔽を図らねばならないはずである。それはあまりに困難であろう。

端的に言うと、特定の団体の利益の為に言論統制を行うとしたら、不利益も必要とされる労力も大きく、割りに合わないとおもわれるのである。

では政府全体の意向としての情報統制はどうであろうか。いわゆる治安維持法の再来である。この場合は特定の団体を擁護するよりは利益が大きいから多少の無理もしそうである。しかし、改めてその場合を考えてみても情報統制は難しすぎると思われる。
ネットに流れる情報を制御することが余りに難しいことの一つの証明として、著作物を挙げたい。違法コピーなどが少なからず出回る現状で、しかもそれを規制する法律はあるにもかかわらず、とてもではないが止められていないのが現状である。

そうして考えると治安維持法のような意味合いでの人権擁護法案の成立要件は、現在の情報通信インフラを一旦破壊することになるのではなかろうか。現在限りなく戦前日本のような治安維持の仕方をしているであろう北朝鮮はそれほど通信インフラは整備されておらず、私見を言わせてもらえれば、情報化・即・革命なのではなかろうか。外部からの情報を止めきれなかった旧ソ連は(そこまで独裁的でも不自由でもなかったにもかかわらず)崩壊した。それ以上の情報統制を、現在の通信インフラ、現在の社会情勢の中で行うというのはあまりに難しい。

そうして考えると治安維持法としての人権擁護法案の運用はあまりに非現実的である。それゆえ前回の追記で述べたような天下り先としての設置の方が現実的であるように思われるのである。これなら動機(利権)も十分であろう。

しかしながら、最初から金だけ貰うような役職を設置しようとすれば批判が出るかもしれない。そういう意味でむしろ当初は大きな権力を持つかのように喧伝し、大幅な弱体化を民意に答えるような形で行うわけである。飛車(治安維持法紛い)を取られそうな時に香車(天下り先の設置)には気を配らないというわけである。

そもそも人権擁護法案不要論というのもありそうなのであるが、どうやら元々が外圧(国連の勧告)があったようなので、諸外国へのポーズとして委員会の設置そのものにもメリットがあるようなのである。

外部への体裁と天下りによる利権、しかも面倒な仕事は(表現の自由の保障という名目で)ほとんどやらなくていいこれが一番利益率が高い落としどころなのではないかと思うのである。

なお、このエントリは人権擁護法案への反対運動を否定するものではない。飛車取りがかかっている以上はそちらは抑えねばならないからである。強いて言えば法案がここでの予想通りになった時、今度はそこで生ずる利権に注意を喚起する程度の意味合いである。
posted by князь Мышкин at 03:08| ブリスベン ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | トラックバック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
一時期自分も考えていたことですね。
(感情的な反対派を見ていたのですっかり忘れていましたが)

自分は飛車が終わったら香車のことについて考えてみようかな。
ただ、天下り先はわんさか出来るものだし、
自分は天下り自体を完全否定する気がないので、
もっとやる気のある人に任せるかも。
Posted by 風見敬吾 at 2005年04月09日 15:44
補足ですが、スルーされた場所は例の小倉弁護士のとこでした。小倉弁護士本人が委員の予想で弁護士会の偉い人や社会学の権威といった人選を予想したので、「天下りと結論しておk?」とたずねたのですが華麗にスルーされました。

天下りエンドの方がその後の荒れは防げたと思うんですが…
Posted by Мышкин at 2005年04月09日 19:01
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