2005年03月31日

差別の構造

差別の心理については心理学者が色々と分析しているのでそれをご覧頂くのが一番であろう。

終わってしまった。さすがにそうもいかないので
ごく基本的な差別の様相について少しばかり考えてみたい。
差別の基本形態は「異分子排斥」であろう。
異分子は和を乱す。異分子は不可解である。それゆえ、潜在的に異分子は危険である。

なるほど排斥の理由もわかりやすい。しかし…必要なのは排斥ではなく理解なのではないか。しかも相互の。

不可解なのは異分子に対する理解の不足ゆえである。ゆえに異分子と接するプロセスで重要なのは排除ではなく理解である。そして同時に、異分子も共同体を理解する必要がある。異分子側が理解不足を解消すると和を乱すことも少なくなるだろう。
ここで言う異分子は共同体との対立概念ではない。共同体の成員のうち、十分衝突するに足る程度に他に理解されないか、他を理解していないかの者を指すのであり、多かれ少なかれ相互の理解不足や誤解はあるものだろう。

もう一つの差別の形態は「弱者への虐待」であろうか。
人は時に自分より弱い相手に特殊な反応をする。
その一つが弱者への虐待である。弱いということそれ自体を理由として為されるその虐待の意味は、一つには安心感を得る為であろうか。虐待により自分よりその相手が弱いと確認できる。それによって安心できるというわけである。このような相対的強者になることを求める人間は別の場では何らかの形で弱者であったりストレスを抱える状況であることが多いのではなかろうか。

いずれにせよあまり合理的な理由ではないし、そういう理由は不要であろう。群れで生きる生き物に、群れの外の個体を放り込むといじめははじまるし、適当にストレスをかけてやれば弱者へのいじめがはじまる。そういう簡単なリアクションであると考えるのが妥当であろう。

すこし大胆に且ついい加減に生物学的な注釈を加えてみようか。異分子とは多くの場合遺伝的に遠い。自己の遺伝子をコピーし増殖させようとする生物の基本原理からすれば、遺伝的に遠い相手を排除するほど近い遺伝子を持つものが増やしやすい。ゆえに異分子は排除しようとする。

弱者の虐待は?これはストレスフルな環境を前提するなら説明可能である。ストレスのかかる環境とは生存において危機的状況である可能性が高い。例えば食料不足がそうである。こういう時可能な限り弱い個体を早めに処分することで残る個体の生存率を引き上げる方が都合がいい場合も少なくないだろう。ゆえに群れの中でいじめが起こり、一番弱い奴から順にフェードアウトしてもらう。

そういう観点から、私はサルの群れでおこるいじめも小学生のいじめも大人の社会での諸々の差別も原理は同じであると結論する。いずれにも人間的且つ合理的な理由は無い。群れで生きる動物が持つ心理の一種とするのが妥当だろう。

つまりは理性的に対処すれば差別は回避可能である…と結論するのはまだ早い。弱者への虐待は合理的ではないから本来のストレスフルな状況への対処を考えれば回避できるとしても、異分子との衝突は、相互の理解が絶望的に不可能であったり、理解の結果必然的に衝突が避けられない場合も考えられるだろう。

次回はそのあたりを考えてみたい。
posted by князь Мышкин at 01:46| ブリスベン ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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「おいコラ!在日!」と言われた時
Excerpt: 昔々あるところに部落差別問題に非常に熱心な、あるお坊様がおったそうな。この坊様は常日頃から「差別はいかん」と熱心に説き、部落にも入ってボランティアのようなこともするし、辻説法に立っては口角泡を飛ばして..
Weblog: 旗旗
Tracked: 2005-03-31 08:14
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