2005年04月22日

ポルノ狩り

さて、一時期盛り上がっていた児童ポルノ法案の漫画規制。結局表現の自由の名の下に退けられたわけだが、また同じようなことを画策している連中が居るようである。

以前は児童ポルノ法案の急先鋒といえば野田聖子議員であった。しかし
マンガ規制に関して児ポ法では行えないことを明言した。その根拠は、evidence(証拠)に乏しいというものであった

などという発言をして、その後は私は、産みたいなどの著書を出し、活動範囲を児童ポルノなどの綱紀粛正系から女性の(出産など、女性らしく生きるという意味でジェンダー論とは異なる立場からの)権利活動や、少子化問題など、自身の体験と関連付けた活動にシフトしているようである。

ときにこの時の野田聖子議員の活動の背景には矯風会というキリスト教婦人団体が関わっていたとされる。細かい説明は省くが、とどのつまり自分たちの基準での不潔なもの、猥褻なものを排除する口実として児童ポルノ法案を利用しようとしていた疑いが持たれている。

で、件の野田聖子議員は、どちらかというと自身の主義主張というよりは支援団体として矯風会と関わっていたから児童ポルノ法案に参加し、その後法案の雲行きもあやしくなってきて、尚且つ上記の新たな集票ネタを獲得したことから、華麗に方向転換したというのが私の見解であったのだが、今回の案件にはどれくらい関わるのであろうか。

さて今回の一件にはエビデンスは十分であろうか。野田聖子議員が言ったエビデンスという表現はEBMあたりを意識してのことであろうか。こういった配慮がどれだけ為されているのであろうか。まさか奈良の児童殺傷事件の1ケースだけを論拠としているのであるなら、あまりにお粗末である。ここで検証せねばならないのは、

児童ポルノの存在によって、犯罪が触発、助長される可能性
児童ポルノが無かったにせよ、結局何かに触発されて犯罪に至ったのではないか?という疑問。
児童ポルノによって、犯罪が抑止される可能性
当然のようにポルノや性産業といった欲望のはけ口が結果として犯罪を減らす可能性も考慮せねばならない
両者の比率
触発されて発生する犯罪より結果として抑止される犯罪の方が多いのに規制するのは愚の骨頂である
その他、そもそも二次元に関心のある人間と生身の女児に関心のある人間がどういう相関図になるのか、等である。

医療におけるエビデンスへの批判は今回の案件では通用しない。医療においてはエビデンスに拘るよりも患者の命の方が優先されるのであり、それゆえエビデンスに欠ける治療も適宜おこなわねばなるまい。しかし今回とりあげられている案件では、効果がわからないうちに法案を作らせるわけにはいかない。表現の自由が引き換えにされるからである。

しかし、今回の案件を推進している集団はエビデンスを無視しかねない疑いが持たれる。奈良の児童殺傷事件については早い段階から大谷昭宏はじめ、幼女性愛趣味そのものを批判し、挙句ポルノ全般を批判する勢いのある人々(矯風会含む)がしばしば発言していたからである。今回の案件を推進するのもその系列であろうか。

そもそも気になるのは、「アダルトアニメを見て、子どもを性の対象と考え始めた」とされたことに触れの一文である。おそらくこのあたりのことを言っているのだと思うのだが、彼が女児に手を出したのはそれより早いのである。これを無視するとはどういう了見であろうか。

今後の動向に注目したいが、今回の案件についてよりはマスコミのミスリードについての方が興味深い。

参考サイト
posted by князь Мышкин at 00:50| マイアミ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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