2005年05月03日

関連性の無いこと

さて、今回はこちらの記事について少し考えてみたい。
端的に言って目的ありきのミスリードの予感がする。
入門書が提供しうる最良の知的サービスとは、「答えることの出来ない問い」、「一般解のない問い」を示し、それを読者一人一人が、自分自身の問題として、自らの身に引き受け、ゆっくりと噛みしめることが出来るように差し出すことだと私は思っています。」

これを引用して
建設的な対話というものも、このような構造を持っているのではないかという気がする。ある人の問題提起を受け止めた人が、それを答が分かり切っている問題として受け取るのではなく、提出した人も、それを受け取った自分自身も分かっていないこと、知らないこととして受け止めることから建設的な対話が始まるような気がする。お互いに、よく分からないところがあるから、対話することによって理解を深めようと言う姿勢を持つところから建設的な対話が始まるような気がする。


これがなぜミスリードか?前半の引用において回答できないのは問い自体、つまりは客体にその理由があるとしている。しかし後半部分での感想では受け止め方の問題であるとしている。つまりは主体側の問題だとしてしまっているのである。このことの意味を分かっているのであろうか。仮に主体の受け取り方一つでどんな問いも根源的たりうるなら、どんな書も資質ある者には良い入門書でありうるし、資質なき者には何を読ませても無駄ということになる。そうならない為に客体としての問いの側に問題を引き受けさせようとしたのではなかろうか。でなければ入門書など用をなさない。

なぜこんなミスリードを用意したのか。後半を読むと少し見えてきたような気がする。小倉氏を弁護したいがためであるようだ。問いの良否を問い自体ではなくコメントする人間の側に依存するとしたわけである。
これは、ブログでの「ろくでもないコメント」というものにも通じる特徴のような気がする。分かり切っているという態度が見え見えの、説教くさいコメントは、「「素人が誰でも知っていること」から出発して、「専門家なら誰でも言いそうなこと」を平たくリライトして終わりというシロモノ」のように見える。ブログ主は、そんなことを問題にしているんじゃないだろう、と思わず言いたくなるようなコメントもよく見かける。


主体側に依存させなければ、このような結論へは導けないからである。しかし…どこかで見たような気がする口ぶりである…

ああ、そうか

             L -‐ '´  ̄ `ヽ- 、   〉
          /           ヽ\ /
        //  /  /      ヽヽ ヽ〈
        ヽ、レ! {  ム-t ハ li 、 i i  }ト、
         ハN | lヽ八l ヽjハVヽ、i j/ l !
         /ハ. l ヽk== , r= 、ノルl lL」
        ヽN、ハ l   ┌‐┐   ゙l ノl l
           ヽトjヽ、 ヽ_ノ   ノ//レ′
    r777777777tノ` ー r ´フ/′
   j´ニゝ        l|ヽ  _/`\
   〈 ‐ 知ってるが lト、 /   〃ゝ、
   〈、ネ..         .lF V=="/ イl.
   ト |お前の態度がとニヽ二/  l
   ヽ.|l.        〈ー-   ! `ヽ.
      |l気に入らない lトニ、_ノ    ヾ、
      |l__________l|   \    ソ 

これに通じる。
posted by князь Мышкин at 00:06| マイアミ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | トラックバック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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