2005年05月13日

寸評2

前回に引き続き見ていきたい。
4月29日

風見敬吾
『まず一つ、自分は人を殺したいわけじゃない。
別に人の生命を奪うことに快感を覚えるタチじゃないですよ。
「殺さなければならない」時でもない限り、殺しませんよ。
ただ私は「人殺しはいけない」を否定しているだけであって
「人殺しはよい」を肯定しているわけではないのですがね。
どこをみて自分が「人を殺したい」とお思いになったのでしょうか。

>だからこそ、現実が根拠なんですよ。
>高学歴だからといって、思慮分別があるという保証ではないんですもの。
>それが現実でしょ?

では、どうしろというのでしょうか。
道徳を使い、「人を殺してはいけない」という洗脳をしろということでしょうか。

>プロの作家であれば、作品に対しての率直な批評は受けるべし。
>いじめじゃないんですから、自殺する自殺しないは本人の責任です。自殺される
>ことまで、気にしていたら、評論家は正しい評論はできないということですね。

つまり、自分が正当な意見だと思えば、それによって間接的な殺人の可能性があっても、問題ないわけですね。』

プロ作家云々はこれへの布石のつもりだった、ということになる。つまり誰もが許容して行使する殺人の可能性として例示を試みたわけである。
アレクセイ
『☆ 風見敬吾さま
>> と、そんな「単純な論理」で殺人をしないで済むのなら、今時の高学歴者は誰も殺人なんて犯さないでしょうね。

> なぜ、でしょうか。根拠を教えてください。

簡単です。人は「損得打算だけ」で、殺人(犯罪)を犯したりはしないからです。「私はそんな割に合わない殺人なんか犯さない」という貴方のご主張は、ハッキリ言って、単純幼稚すぎます。
それに、貴方自身が、azamikoさんへの反論として、

> 高学歴者といえども、この「単純な論理」が守れない人間も存在するからです。

だなんて書いて、それを認めてしまっているじゃないですか(笑)。
貴方が『高学歴者』かどうかは知りませんが、どっちにしろ、貴方のおっしゃるとおり『高学歴者といえども、この「単純な論理」が守れない人間も存在する』のだから、貴方ご自身の殺人可能性だって、貴方の「単純な論理」だけでは否定できない、ということですよ。――わかりますか? だいぶ、こんがらがってこられたようですが(笑)。

>> そのわりには、あまり学習なさっていないようですね(笑)。

> 学習しようにも、学ぶところが何にもないんですよ。

学ぶところは、何処にでもありますよ。学校や塾や図書館はもとより、近所の井戸端も繁華街の路上も、あるいは家族との夕食の場にも。――要は、学ぶ気があれば、どこからでも何かしら学べるということです。逆に言えば、それに気づけない貴方は、「学び」ということを理解していないから、学べないのだということですよ。

> ああ、そうそう…もう一つ質問を
> 「人は人を傷つけてはならない」は、正しいとお考えでしょうか?

>>例えば、ある小説を読んで「これは駄作だ」と思っても、作者本人を目の前にして、その評価をそのまま正直に告げる人は、ほとんどいません。しかし、私は必要があれば、ご本人にでも「忌憚なく」それを告げる。だから「毒舌」などと言われるですよ(笑)。(<アレクセイさま)

> それで作者が自殺してしまったらどうでしょう。立派に、間接的な殺人ですよ。

これを『殺人』だと言うのなら、貴方も立派な殺人犯ですよ。貴方の書かれた文章を読んだがために、日本の将来を儚んで自殺する人もいないとは限らない(笑)。

> 日本にはかなり優秀な警察が存在しますから。逮捕される可能性が高ければ、安息は得られないでしょうよ。
> ただ、時効や海外への高飛びなどがあるので「安息の日々は無い」までは行きませんね。
> しかし、「安息の日々を得るのは難しい」ですね。

う〜む、容易ならざる「子供の論理」ですね。まずは『罪と罰』くらい、読んでみてはいかがでしょう。むろん、「読んで、考えて」みては、ということです。

> まず一つ、自分は人を殺したいわけじゃない。
> 別に人の生命を奪うことに快感を覚えるタチじゃないですよ。
> 「殺さなければならない」時でもない限り、殺しませんよ。
> ただ私は「人殺しはいけない」を否定しているだけであって
> 「人殺しはよい」を肯定しているわけではないのですがね。
> どこをみて自分が「人を殺したい」とお思いになったのでしょうか。

普通に考えれば「人殺しはいけない」というのは、自明な大前提だからです。その「自明な大前提」を、貴方は『ただ私は「人殺しはいけない」を否定しているだけ』だとおっしゃるから、『「人殺しはよい」を肯定している』と取られるんですよ。
「人殺しはいけない」という自明な大前提を、貴方が理解していたら、『ただ私は「人殺しはいけない」を否定しているだけ』という理屈は、出てこないんです。だって、相手を殺したら、こうした議論自体、成立しないでしょう?(笑) ――「殺す」「抹殺する」ということは、「何も生み出さない」「何も始まらない」ということだから、ダメなんです。貴方自身、今なさっていること「行為」のすべてが、「人殺しはよくない(=汝、殺すなかれ)」という大前提の上に立ってのものなんですね。ところが、その大前提が、あまりにも大きすぎて(普遍的すぎて)、貴方の狭い視野には入っていないだけなんですよ。

> では、どうしろというのでしょうか。
> 道徳を使い、「人を殺してはいけない」という洗脳をしろということでしょうか。

いいえ。貴方がしなければならないのは、ご自身の「幼稚」「無知」「無教養」「卑屈」「狭量」といった現実を直視し、それを反省して、そこから謙虚に向上していくことです。――明解な回答でしょう(笑)。

>> プロの作家であれば、作品に対しての率直な批評は受けるべし。
>> いじめじゃないんですから、自殺する自殺しないは本人の責任です。自殺される
>> ことまで、気にしていたら、評論家は正しい評論はできないということですね。(<azamikoさん)

> つまり、自分が正当な意見だと思えば、それによって間接的な殺人の可能性があっても、問題ないわけですね。

ね。azamikoさんのこんな「平易な説明」ですら、素直に理解できない貴方は、ご自身の「幼稚」「無知」「無教養」「卑屈」「狭量」を、ご自分で証明なさっているんですよ。だから、その事実を反省して、そこから出発して下さい。

――なお、私のこの「明解な助言」によって貴方が自殺なさる場合は、遺書にその旨、しっかりと書き残しておいて下さい。それで、日本の『かなり優秀な警察』が動くかどうかは知りませんが、少なくとも「アレクセイ伝説」の1ページに刻まれることは確かでしょう(笑)。』

『簡単です。人は「損得打算だけ」で、殺人(犯罪)を犯したりはしないからです。』
この発言には問題がある。まず、ではどういう理由で殺すのか記述が無い点。もう一つは「簡単です。人は「殺してはいけないという自明な前提」で、殺人(犯罪)を犯さなくなるわけではないからです。」と、自らの説もまた殺人について関与していないという逆の証明に使われてしまうリスクがある。(結局そうはならなかったが)

もう一つ。『> それで作者が自殺してしまったらどうでしょう。立派に、間接的な殺人ですよ。
これを『殺人』だと言うのなら、貴方も立派な殺人犯ですよ。貴方の書かれた文章を読んだがために、日本の将来を儚んで自殺する人もいないとは限らない(笑)。』
この指摘は的外れ極まりない。なぜなら、風見氏はそもそも立派な殺人犯で構わないと言っているのだから。要は罰せられさえしなければいいと言っていたのだから。
風見敬吾
『>いいえ。貴方がしなければならないのは、ご自身の「幼稚」「無知」「無教養」
>「卑屈」「狭量」といった〜(以下略

残念ですがね。
自分は『「単純な論理」を守れない人間』の殺人を、
どうすれば食い止められるかをたずねているのですよ。
貴方の回答はこの風見敬吾を対象としている時点で的外れなのです。
自分ではなく『「単純な論理」が守れない人間(例えば宅間守のような)』の殺人を防ぐにはどうするかですよ。

>普通に考えれば「人殺しはいけない」というのは、自明な大前提だから〜(以下略
貴方の見ている世界の方が広いという証明をどうぞ。
今現在の世界ですら、「人殺しはいけない」は全世界の人間にはいきわたっていませんよ。
アフリカの治安の悪いところとか、例はたくさんあります。
過去にさかのぼれば、奴隷など地位の低い人間なんかは殺しても文句は来なかった時代も長く存在しています。
貴方のほうがこの現在の日本のみの「普通」を見ている、狭い視野の人間としか思えません。

「幼稚」「無知」「無教養」「卑屈」「狭量」ですか。
こういうありあわせの言葉じゃなくて、なんか無いんですかね。
もっと、知性を感じさせるような、言葉は。
もっと、何らかの感情を揺さぶらせるような、言葉は。』

この発言の後半には巧妙なトラップが仕掛けられており、うまく扱えば相手の自爆を誘うことが可能である。しかし前半がいただけない。殺人の基準ではなく、殺人行為そのものを問題に摩り替えてしまっているからである。その後きっちり開き直られる。
アレクセイ
『☆ 風見敬吾さま
> 残念ですがね。
> 自分は『「単純な論理」を守れない人間』の殺人を、
> どうすれば食い止められるかをたずねているのですよ。
> 貴方の回答はこの風見敬吾を対象としている時点で的外れなのです。
> 自分ではなく『「単純な論理」が守れない人間(例えば宅間守のような)』の殺人を防ぐにはどうするかですよ。

あはは。それ、本気で尋ねているんですか? ――まさか、そんな『的外れ』なことを、本気で尋ねてくるとは思いもよりませんでした(笑)。

>> 普通に考えれば「人殺しはいけない」というのは、自明な大前提だから〜(以下略

> 貴方の見ている世界の方が広いという証明をどうぞ。

すでに証明はされていますよ、ここで、何度も。ただ、それが貴方には見えていないだけです(笑)。

> 今現在の世界ですら、「人殺しはいけない」は全世界の人間にはいきわたっていませんよ。
> アフリカの治安の悪いところとか、例はたくさんあります。

「人を殺してはいけない」という了解と、「人殺しがない」という事実とは、同じではないんですね。わかりますか? そんな子供じみた屁理屈は、読者の失笑を招くだけですよ。いや、ここまでくれば、哀れみの同情を招きうるかも知れないな(笑)。

> 過去にさかのぼれば、奴隷など地位の低い人間なんかは殺しても文句は来なかった時代も長く存在しています。

生物学的な人間であったとしても、それを人間と認識できなければ、「人を殺してはいけない」という認識が働かないというのは、当然のことです。そういう事例は、今も昔もたくさんあるのです。
また、そういう「認識と事実」が一致しない端的な例が、貴方ご自身でもあるでしょうね(笑)。

> 貴方のほうがこの現在の日本のみの「普通」を見ている、狭い視野の人間としか思えません。
> 「幼稚」「無知」「無教養」「卑屈」「狭量」ですか。
> こういうありあわせの言葉じゃなくて、なんか無いんですかね。
> もっと、知性を感じさせるような、言葉は。
> もっと、何らかの感情を揺さぶらせるような、言葉は。

これは、どんなに適切な助言も、それを理解する能力や意志のない人間には、「無益」だという好例でしょう。
――何度でも申しますが、私は、私の「見解」を押しつける気はありませんから、それを拒絶したければ拒絶なさればいい。でも、その拒絶の素振りによっても、貴方はご自身の「幼稚」「無知」「無教養」「卑屈」「狭量」を、自ら、ますます証明してしまうことになるのですよ。』

「無知」云々について風見氏の言葉の真意を汲まないのはわざとだと信じたい。本来この言葉の意味は、「安い挑発ですね。もっとこちらの神経を逆撫でする言葉を扱えませんか?」という意味に取るのが妥当であろう。少なくとも真面目な議論の最中であるなら、相手の態度に関わらず人格攻撃などするべきではない。そのあたりが論の展開をおかしくしている。

そして…『生物学的な人間であったとしても、それを人間と認識できなければ、「人を殺してはいけない」という認識が働かないというのは、当然のことです。そういう事例は、今も昔もたくさんあるのです。』
この言葉は彼の口から出るべきでない言葉ではなかろうかと思われる。窮地に立たされかねないからである。
風見敬吾
『>あはは。それ、本気で尋ねているんですか? ――まさか、そんな『的外れ』な>ことを、本気で尋ねてくるとは思いもよりませんでした(笑)。
自分はそれを聞き続けています。で、答えられないのでしょうか。
的外れなのは、貴方のほうですよ。

>「人を殺してはいけない」という了解と、「人殺しがない」という事実とは、同>じではないんですね。わかりますか? そんな子供じみた屁理屈は、読者の失笑>を招くだけですよ。いや、ここまでくれば、哀れみの同情を招きうるかも知れな>いな(笑)。
果たして無法地帯に「人を殺してはいけない」了解が存在するのだろうか。
いや、そこにある了解は、「自分が生き延びればよい」程度だろう。
戦場に「人を殺してはいけない」了解が存在するのだろうか。
いや、そこにある了解は、「味方を殺さないようにする」程度だろう。

あと、貴方は「なぜ殺人をしてはいけないのか」という問いに
「何も産み出さないから」という答えを出しました。
何を持って「産み出す」とするのでしょうか。
自分が、今ここで文章を打っていることも「産み出す」といえる。
また、科学上の発見をすることも「産み出す」といえる。
何かものを作ることも「産み出す」といえる。
貴方の定義をお教えください。

また、なぜ産み出さないことがダメなのか。というのも答えてもらいたい。
「産み出す」の定義が良くわからないと答えようがないでしょうがね。

昔の答え「あります。自分で何も生み出せない人は、生み出せる人に対し勝手に劣等感を感じ、そのあげく被害妄想を持ったりして、おかしな言動に走ることが、ままあります。こういうことを世間では好ましくない「問題行動」だと考えます。」
は、ここでの回答にはなりませんしね。

追記:『宗教は多かれ少なかれ狂気の範疇』って言葉、アレクセイ氏を見ると痛感しますよ。己の信仰している「殺人はよくない」という宗教教義を、狂的に死守しようとしている。と。』

風見敬吾

『あまりにも論点とか論ずることが多くなって来てしまったので論点を絞ります。

1)なぜ人を殺すのは良くないか
2)「単純な損得勘定(単純な論理)」を守れない人間の殺人を防ぐにはどうするか

この二つです。
1)に関しての貴方の答えは確か「何も産み出さない(反創造的)から」
あたりの答えを出されていたかと思います。
違ったらあらためて言ってください。
で、私は何も産み出さないことに問題はないと考えているので、
産み出さないことの問題を述べてくださいと主張しています。
昔の答えはまた別のものでしょうから、新しい答えを出してください。

2)に関してはまだ反駁らしい反駁が来ていないのでお答え願います。』

さて、前に指摘したがとうとう「生み出す」の定義を問い詰められるところへ来た。ここで上手く立ち回らないと窮地に立たされるところである。
アレクセイ
『☆風見敬吾さま
>> あはは。それ、本気で尋ねているんですか? ――まさか、そんな『的外れ』なことを、本気で尋ねてくるとは思いもよりませんでした(笑)。

> 自分はそれを聞き続けています。で、答えられないのでしょうか。
> 的外れなのは、貴方のほうですよ。

「それ」とは、次の2)の問いですよね。

>2)「単純な損得勘定(単純な論理)」を守れない人間の殺人を防ぐにはどうするか

この問いに「これが正解です」というようなものがあれば、警察がすでにそれを採用していますよ(笑)。
貴方は、脳天気にも『「単純な損得勘定(単純な論理)」を守れない人間』と言いますが、その人物が殺人などの犯罪を犯す前に、どのようにしてその人物を『「単純な損得勘定(単純な論理)」を守れない人間』だと判定するんです。それが不可能(他人の頭の中は完全に理解できない)だから、犯罪に対し、完全な予防措置をこうずることなど、原理的に出来ないんですよ。それを無理にやろうとすれば、必ず人権侵害になる。なぜなら、まだやってもいない人を「犯罪者」扱いにするんだから、それは人権侵害以外のなにものでもないということです。
で、こんなことは「普通の判断力と常識」があればわかることだから、自ずと「そんな都合のいい方法(正解)などない」というのは、普通なら誰でも知っていることなんですね。ですから『まさか、そんな『的外れ』なことを、本気で尋ねてくるとは思いもよりませんでした。』ということになるんですね。
――ま、どっちが『的外れ』かは、読者が自ずと判断してくれるでしょう(笑)。

>>「人を殺してはいけない」という了解と、「人殺しがない」という事実とは、同じではないんですね。わかりますか? そんな子供じみた屁理屈は、読者の失笑を招くだけですよ。いや、ここまでくれば、哀れみの同情を招きうるかも知れないな(笑)。

> 果たして無法地帯に「人を殺してはいけない」了解が存在するのだろうか。
> いや、そこにある了解は、「自分が生き延びればよい」程度だろう。
> 戦場に「人を殺してはいけない」了解が存在するのだろうか。
> いや、そこにある了解は、「味方を殺さないようにする」程度だろう。

あのね、「人を殺してはいけない」という了解は、「普通の人間」には当たり前にあるものなんですよ。『無法地帯』というのは「当たり前でない人」が大勢いる場所のことだし、『戦場』とは(「当たり前=平時」ではない)「有事」「非常時」と呼ばれる「例外状況」下にあるされる「政治的時空」なんですね。だから、「人を殺してはいけない」という了解が、そこでは「政治的」に否定されており、その影響下にある人は「人を殺してはいけない」という了解を、止むなく「保留」しなくてはならなくなっているだけなんです。つまり、例外状況における「一時保留」「棚上げ」による「殺人を犯してもよし」という了解の発生は、あくまでもその前提として「人を殺してはいけない」という了解があり、あえてそれを否定しているに過ぎないんですね。言い換えれば「本当は人殺しはいけないことなんだけど、ここは無法地帯だから、生き延びるためには、仕方がない」とか「本当は人殺しはいけないことなんだけど、ここは戦場だから、生き延びるためには、仕方がない」というだけのことなんですよ。
――これも「普通の判断力と常識」がある人には言わでもがななことなんですが、貴方には説明しても理解できないでしょうね。なにしろ「普通の判断力と常識」が無いんですから。

> あと、貴方は「なぜ殺人をしてはいけないのか」という問いに
>「何も産み出さないから」という答えを出しました。
> 何を持って「産み出す」とするのでしょうか。
> 自分が、今ここで文章を打っていることも「産み出す」といえる。
> また、科学上の発見をすることも「産み出す」といえる。
> 何かものを作ることも「産み出す」といえる。
> 貴方の定義をお教えください。
> また、なぜ産み出さないことがダメなのか。というのも答えてもらいたい。
> 「産み出す」の定義が良くわからないと答えようがないでしょうがね。

「言葉の定義がわからないのでは答えられない」というのは、「荒らし」がよく言うことです(笑)。
では、聞きますが、「言葉の定義」とは何ですか? それは一つだけに限定されるものなんですか? されないとしたら、いくつあってもいいものなのかな? だとすると、それは定義にならないんじゃないですか?

「なぜ殺人がいけないのか?」という問いへの、私の答は「それは、存在そのものの否定であり、すなわちそれは何も生み出さないものだからだ」というような簡明な説明は、これ以上、説明の加えようがありませんよ。あとは、貴方がこれを理解できるか否かだけ。貴方に「普通の判断力と常識」や「理解力」が無いことまで、私は責任をとれませんからね。この説明で、理解できなければ「貴方には、私の意見を理解する能力が無い」という、ただそれだけのことです(笑)。

> 昔の答え「あります。自分で何も生み出せない人は、生み出せる人に対し勝手に劣等感を感じ、そのあげく被害妄想を持ったりして、おかしな言動に走ることが、ままあります。こういうことを世間では好ましくない「問題行動」だと考えます。」
> は、ここでの回答にはなりませんしね。

私の文章は、常に「普通の判断力と常識」や「理解力」があることを前提として書かれております。私には、石仏や馬を説得できるような、異能はありません。したがって『ここでの』回答になっているものが、貴方には「貴方(風見敬吾)にとっての、ここでの」回答になっていなくても、それは、どうしようもないんですよ。

> あまりにも論点とか論ずることが多くなって来てしまったので論点を絞ります。
> 1)なぜ人を殺すのは良くないか
> 2)「単純な損得勘定(単純な論理)」を守れない人間の殺人を防ぐにはどうするか
> この二つです。
> 1)に関しての貴方の答えは確か「何も産み出さない(反創造的)から」
> あたりの答えを出されていたかと思います。
> 違ったらあらためて言ってください。

1)については、上記のとおり、その理解で結構です。

> で、私は何も産み出さないことに問題はないと考えているので、
> 産み出さないことの問題を述べてくださいと主張しています。
> 昔の答えはまた別のものでしょうから、新しい答えを出してください。

その前に、貴方はなぜ『何も産み出さないことに問題はないと考えている』のかをお答え下さい(笑)。

> 2)に関してはまだ反駁らしい反駁が来ていないのでお答え願います。

これは上記のとおり、つまり『あのね〜が無いんですから。』です。
それに第一、貴方は『反駁』されるほどの意見など、一度も言っていないじゃないですか。「私はこう思う」というだけで、その「根拠」が示されていないんですから。つまり、貴方の「私は人を殺してもかまわないと思う」という「だけ」の意見には、「反駁」などできないんです。ただ「貴方はおかしい(まともじゃない)」という感想を返すのみですよ。「論理的な根拠」が示されなきゃ「反駁」なんて不可能なんです。わかりますか?

> 追記:『宗教は多かれ少なかれ狂気の範疇』って言葉、アレクセイ氏を見ると痛感しますよ。己の信仰している「殺人はよくない」という宗教教義を、狂的に死守しようとしている。と。

必死だな(笑)。―― という評価がどちらに当てはまるかは、読者の判定に任せましょう。それこそ、お互い、必死に言いつのっても無意味ですからね。
私は、普通の「判断力」や「常識」や「理解力」のない人を説得できると思うほど、バカではありません。バカは、おのれのバカぶりを曝すに任せます。……いや、それを「補助します」かな?(笑)

ま、たまには貴方も、多少は利口に見えるようなことを書いてみせて下さい。でないと、恥の上塗りを重ねるばかりですよ。
――貴方自身、自分が人からどう見られ、どう評価されているか、それに薄々は気づいているんでしょう? ならば、その認識を潔く受け止めることです。歴然たる力量の差を認められずにつまらない意地をはって、引き際を誤るというのは、貴方が愚か者である何よりの証拠なのです。』

さて、ここで論のすり替えが起きる。
『で、こんなことは「普通の判断力と常識」があればわかることだから、自ずと「そんな都合のいい方法(正解)などない」というのは、普通なら誰でも知っていることなんですね。』
ここまではおおむね妥当である。頭の悪い人間が居て、そいつの殺人を止められないが、しかしそれと殺しがいけないこととは関わりが無いことである。しかし…

『あのね、「人を殺してはいけない」という了解は、「普通の人間」には当たり前にあるものなんですよ。』
ここで普通の範囲を拡張しようとしているが、これは詭弁である。前者の普通は、現実の殺人を問題にするがゆえに、様々な対処が試みられ、然る後失敗に終わったという事実から常識的に知りうるが、後者の当たり前は当てにならない。多くの人がなんとなく備えるものを根拠にするのならそれは「良心の呵責」だのといったものに頼る立場となってしまう。なぜなら、論理的な証明プロセスも客観的な根拠もこの時点では示せていないからである。

そうして致命的なのは次の箇所である。『「言葉の定義がわからないのでは答えられない」というのは、「荒らし」がよく言うことです(笑)。
では、聞きますが、「言葉の定義」とは何ですか? それは一つだけに限定されるものなんですか? されないとしたら、いくつあってもいいものなのかな? だとすると、それは定義にならないんじゃないですか?』
荒らしというラベリング。言葉の定義とは何ですかという話題逸らし。(そんなの常識で判るだろう、それとも言葉を定義しなければならない高度な議論はしたことがないのか?と返される)

『それは、存在そのものの否定であり、すなわちそれは何も生み出さないものだからだ」というような簡明な説明は、これ以上、説明の加えようがありませんよ。』

即ちで接続する語とは言えない。


風見敬吾
『まず一つ「普通の判断力と常識」
これは貴方が言って大丈夫なのでしょうかね。
かつて多重ハンドルによる自作自演をした貴方が。
管理人氏の学校への無断侵入を支持した貴方が。
常識から言えばずれているのは貴方も同じ、
いや、実行しているぶんそれ以上に常識はずれですよ。
もちろん、この自分の「殺人は良くないわけではない」という意見が
少数派であることは事実ですがね。

1)の理由の根拠である以下の一文についての反論
>存在そのものの否定、すなわちそれは何も生み出さないから
殺人(存在そのものの否定)によって歴史が動く(新たなものを生み出す)ことだってあるじゃないですか。
フランス革命とか、独立戦争とか、その最たるものでしょう。

2)について
確かに主張を入れ忘れていました、これは申し訳ない。
しかし、アレクセイさん、つまり貴方は
「単純な損得勘定(単純な論理)」を守れない人間の殺人を防ぐにはどうするか、
については何も意見を持ち合わせてはいないのですよね。
自分は持っています。ただ、それは「単純な論理」を守らせるようにすることで殺人を防ぐようにするものです。
ちなみに、その方法は、「道徳を捨てること」です。
(人間は平等だとか、差別はいけないだとか、自分の立場をわきまえるべしなどの考えを捨てることです)
道徳を捨てることによって、道徳によって生ずる怒り、例えば「理不尽による怒り」だとかは消失します。
ゆえに、「感情に流されて単純な論理が守れない人間」は「感情に流されず単純な論理が守れる人間」へと変化します。

>ま、たまには貴方も、多少は利口に見えるようなことを書いてみせて下さい。で>ないと、恥の上塗りを重ねるばかりですよ。
>――貴方自身、自分が人からどう見られ、どう評価されているか、それに薄々は>気づいているんでしょう? ならば、その認識を潔く受け止めることです。歴然>たる力量の差を認められずにつまらない意地をはって、引き際を誤るというの>>は、貴方が愚か者である何よりの証拠なのです。

えー、なんと言いましょうか、自分には
「鏡を見てください」としか言える言葉がないのです。
どっちが鏡を見ていると思われるかは閲覧者に任せます。』

#
風見敬吾
『上記文、引用がずれました。

まとめ
1)殺人(存在そのものの否定)によって歴史が動く(新たなものを生み出す)ことだってある。つまり殺人は反創造的行為とは一概に言えない。

2)道徳を信じているものが、道徳を捨てることによって
「単純な損得勘定」を守れる人間は増加する。
ゆえに、殺人をする人間は減少する。

以上2点ですね。』

互いに印象操作やレッテル貼りや人格攻撃を乱発しており、非常に読みにくいが、ここで重要なのは『ちなみに、その方法は、「道徳を捨てること」です。』以下のくだりであろう。この一節から、風見氏がアレクセイ氏の道徳の根拠を「道徳的感情(良心の呵責)」にあると見ていることが伺える。これは無理からぬことであろう。普通や常識と言った言葉を弄してみたり、生み出さないという語の定義をしていないのだから。
アレクセイ
『☆ 風見敬吾さま
> まず一つ「普通の判断力と常識」
> これは貴方が言って大丈夫なのでしょうかね。
> かつて多重ハンドルによる自作自演をした貴方が。
> 管理人氏の学校への無断侵入を支持した貴方が。

大丈夫(笑)。私やazamikoさんの行動を、そのように「曲解」したのは、貴方と同類の「匿名」者や「荒らし」ばかりですからね。

> 常識から言えばずれているのは貴方も同じ、
> いや、実行しているぶんそれ以上に常識はずれですよ。

いやいや、私は貴方と「同じ」ではないですよ(笑)。
私の規格はずれの言動は(私が尊敬する南方熊楠や宮武外骨のそれと同様)多くの頭のまともな人の支持や評価をうけるものですが、貴方の「人を殺してもかまわないと思う」という考えは、頭のおかしい人の支持や評価しか受けませんからね。これを、普通は「同じ」とは言わない(笑)。

> もちろん、この自分の「殺人は良くないわけではない」という意見が
> 少数派であることは事実ですがね。

たしかにお互い「少数派」であるのは同じですが、私は「真っ当過ぎる」が故の少数派で、貴方は「おかしい」が故の少数派ですよ、わかりますか? 私は「真っ当な人の中にあっての、少数派」ですが、貴方は「真っ当な人の中には入っていないための、少数派」なんです。この違いを、はっきり自覚しましょうね(笑)。

> 1)の理由の根拠である以下の一文についての反論

>> 存在そのものの否定、すなわちそれは何も生み出さないから

> 殺人(存在そのものの否定)によって歴史が動く(新たなものを生み出す)ことだってあるじゃないですか。
> フランス革命とか、独立戦争とか、その最たるものでしょう。

それは「殺人」が生み出したんじゃないですよ。「革命」とか「独立戦争」とかが「殺人と無縁ではない」という事実はありますが、だからといってそれを「同じ」ものと扱うのは、貴方らしい「短絡」です(例えば「私と彼とは、肝胆あい照らした親友です。従って、私と彼は同一人物です」というようなもの)。
そんなことで「殺人」が正当化されると思うのは、貴方くらいでしょう。世の中の人は、そんなこそなど承知の上で、それでも「殺人はいけない」という了解を持っているのです。それが「まともな人」なんですよ。

> 2)について
> 確かに主張を入れ忘れていました、これは申し訳ない。
> しかし、アレクセイさん、つまり貴方は
> 「単純な損得勘定(単純な論理)」を守れない人間の殺人を防ぐにはどうするか、
> については何も意見を持ち合わせてはいないのですよね。
> 自分は持っています。ただ、それは「単純な論理」を守らせるようにすることで殺人を防ぐようにするものです。
> ちなみに、その方法は、「道徳を捨てること」です。
> (人間は平等だとか、差別はいけないだとか、自分の立場をわきまえるべしなどの考えを捨てることです)
> 道徳を捨てることによって、道徳によって生ずる怒り、例えば「理不尽による怒り」だとかは消失します。
> ゆえに、「感情に流されて単純な論理が守れない人間」は「感情に流されず単純な論理が守れる人間」へと変化します。

おお、すごい論理ですねーっ! お尋ねして、本当に良かった! 貴方が聞かせてくれたお話で、一番おもしろいと思いましたよ(笑)。でも……では、「道徳によって押さえられている、多くの悪しき部分への歯止めが無くなり、殺人などの犯罪を犯す人がより増える」という問題については、どう責任をとられるんですか?
――「道徳」というものが馬鹿にならない力(犯罪抑止力・社会統御力)を持っておればこそ、ニーチェもこれを「神」と同様に敵視したんですよ。そうした大前提を、貴方はご存じでしたか?

>> ま、たまには貴方も、多少は利口に見えるようなことを書いてみせて下さい。でないと、恥の上塗りを重ねるばかりですよ。
>> ――貴方自身、自分が人からどう見られ、どう評価されているか、それに薄々は気づいているんでしょう? ならば、その認識を潔く受け止めることです。歴然たる力量の差を認められずにつまらない意地をはって、引き際を誤るというのは、貴方が愚か者である何よりの証拠なのです。

> えー、なんと言いましょうか、自分には
> 「鏡を見てください」としか言える言葉がないのです。
> どっちが鏡を見ていると思われるかは閲覧者に任せます。

同意です。閲覧者は、間違いなく「風見敬吾って、バカだよね」と考え、そして「こんなバカを相手にしているアレクセイもバカだよね」と判断することでしょう。しかし、もちろん、ここでいう『バカ』は、同じ意味ではないんですが(笑)。

> まとめ
> 1)殺人(存在そのものの否定)によって歴史が動く(新たなものを生み出す)ことだってある。つまり殺人は反創造的行為とは一概に言えない。
> 2)道徳を信じているものが、道徳を捨てることによって
> 「単純な損得勘定」を守れる人間は増加する。
> ゆえに、殺人をする人間は減少する。
> 以上2点ですね。

この「まとめ」は、「殺人を犯しても(警察に捕まらなければ)かまわない」と考える、風見敬吾さんのお考えです。私は、そんな風見敬吾さんを、普通の判断力と常識と理解力に欠ける、ちょっと「おかしい」人だと判断します。……これでは、中途半端に「猿まね」をされたニーチェも、草葉の影で泣いているでしょう。――これが、アレクセイの「まとめ」です(笑)。』


さて…一応見ておく。
『> 殺人(存在そのものの否定)によって歴史が動く(新たなものを生み出す)ことだってあるじゃないですか。 〜 そんなことで「殺人」が正当化されると思うのは、貴方くらいでしょう。』
これがすり替えだと結論するのには少し手間がかかるだろうか?風見氏は殺人を正当化するためにこの例を示したのではない。殺人が何も生み出さないという結論への反例として示したのである。ある定義は僅かの例外でも十分覆るのであり、ここで風見氏が主張したのは「殺人がいけないとしても、それが何も生み出さないなどという珍奇な理由からだとは到底思えないのだが」という一点に尽きるだろう。

総評は次回。
posted by князь Мышкин at 00:17| マイアミ ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | シリーズ寸評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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