2005年05月23日

匿名であること

寸評3についたコメントについて語ることになった。
概要としては「匿名は卑怯」という域を出ていないが、少しずつみていきたい。
最初に論旨を説明しておくと
ネットの匿名性は言論の自由に利するところが(荒らしによる弊害を差し引いても)大きい

実名を明かすか、辿れるように自らトレーサビリティを確保しない限り、匿名性を捨てたことにはならなず、自らの匿名批判が自身にも跳ね返ってきている

というものである。
この『寸評』を読まれる方は、たぶん『この場』の部分にリンクの貼られた先、つまりブログ『きびをむく少女の指先傷つきてラムの琥珀酒カリブの海より来たる』(以下『きび少』と略記)の該当文章を読まれた上で、Мышкинさんのご『注釈』の妥当性を判断されることは、ほとんど無かろうと思い


私は基本的にこのブログのトラックバック項目に入れた記事はリンク先を読む事を前提に書いている。実際リンク先を読まないと意味不明な記述も多数あるはずである。不親切かもしれないが、ブログではトラックバック先の記事について私は今後も可能な限り引用しない方針である。なぜなら完全に引用した上で論評してしまうとリンク先へ行く理由がなくなってしまうからである。

政治的には「左派」に分類される人で、その点では私とほとんど同じような立場を選んでいる人だ、ということです。だから、その点で、私とМышкинさんが対立するような論点はほとんどありません。


どこをどう読むと政治的に「左派」となるのであろうか。その論拠が無い。そもそも左派の定義も明らかではない。私は、右派や左派の定義そのものが流動的で不明瞭であるというエントリを書いているのであるが。

本質的には、そこらの荒らしと大差ないんじゃないかと」と考え、次のように挑発してみたのです。

こんなことを平然と行うことが本来なら「お前こそ荒らしだ」と非難の対象となりうるが、ここでは追求しない。当ブログは匿名を含む幅広い言論を許容するつもりであるし、そもそも私は「荒らし」の定義が一様であるなどと思っていない。

> それにしても、身元を明かせといわれてサイトやメアドとくるとは予想外でした。てっきり実名や実住所のことかと。

と返されているのですが、私はこの段階で、Мышкинさんが「身元をハッキリさせていた(身元を誤魔化す意図は無かった)」という理解に立っていたので、

> ブログを明かしておられるというのを知りませんでしたから。いや、申し訳ない。

と重ねて陳謝したのでした。
 しかし、今回こちらのブログを拝見し、Мышкинさんの文章を読ませていただいて感じたのは「やはり、この人は身元を隠したいんだな。このブログは、自身の匿名を前提とした上で開設しているものに過ぎず、いざとなって畳んでしまえば、後には自身の痕跡を何も残さずに消えてしまえる、という体制なんだ」ということでした。

大きな誤読である。私は身元=実名実住所という認識であり、それ以外のプロバアドレスもHPも長年慣れ親しんだ固定ハンドルも実名にでも結びつかない限り一切は身元を保証しないと考えている。

もっとも力をいれて取り組んでおられたこととは「ネットにおける匿名性を批判する人物を、批判する」こと(http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/『小倉秀夫のIT法のToFront』批判ほか)であり

どこに力を入れていたかは閲覧者の主観の域を出ないが、それ以上に問題なのは小倉氏の主張を全く理解していない点であろう。小倉氏は実名を用いるか、さもなくば実名にたどり着ける匿名で発言すべきだと言っているのである。言い換えれば請われれば実名を明かす体制を要求しているのであるが、本名が田中幸一だというのであろうか。

私の掲示板(http://www80.tcup.com/8010/aleksey.html)への報告の書き込みは、なされませんでした

この件については招待状を送りに行きましょう。

私は、5年間続いているサイトを包み隠さず公開していますし〜失敗しても「逃げ隠れできない(責任を引き受けざるを得ない)立場にある」ということですね。

否。それだけでは何の意味も無い。『実名や実住所』こそ問題であり、それを明らかにするか、さもなくば追跡するトレーサビリティを確保するかが必要である。それが反匿名論である。付喪神の例はまさにそれである。100年たっても物は物であると同様に、20年使おうが実名にたどり着くルートがネット上で確保されていないなら「匿名」のままである。
「荒らし」に対する批判は微塵もありません


荒らしの基準はさておき、私は私の基準で荒らしと看做した相手は「無視する」。批判する必然すらないし、そういう反応こそ私が思う荒らしの望むところだからである。第一、批判するとしても「その場の流れを阻害するのは好ましくない」という以上の何か言う必要があるだろうか。しかも相手はそのことを承知する故意犯であろうし

「匿名者を批判する人」の多くが、「匿名そのもの」を批判しているわけではなく、「匿名」の影に隠れて「卑劣な行為」を続ける「荒らし」などの「匿名性」を問題にしているのは明らかなのに

それを承知するゆえに、荒らしは匿名だと増えるだろうし実名だと減るだろうが、「実名者に荒らしは居ない」とはならない例を挙げているのであるが。後は匿名の持つメリットデメリット、実名の持つメリットデメリットの差額を比べ、どちらの利益が大きいと考えるかというある種の嗜好の問題でしかない。私が批判するのは匿名者を批判する者の論拠である。

ついでにに言っておくと、「荒らしに代表される、匿名者」というのは語弊がある。ネットの多くの発言は匿名でなされているわけだし、その多くは荒らしではない。違うというのであれば匿名でない発言を列挙し、明らかに多数派であると示す必要がある。

明らかな「荒らし」にあった『きび少』〜

荒らしは居ただろう。だが一括して全てを荒らしとすることも批判されてしかるべきである。又、私がトラックバックを打ち込んだのはあくまで『てるてる日記』であり、記述も「『てるてる日記』の記事」に対してである。そういう意味で『きび少』に対するコメントではない。このあたり、ブログという仕組みに対する認識の差が見られる。

Мышкинさんが、自身のブログについて(私から)尋ねられ「はい、それはこちらです」と応じなかった理由〜

「過去ログ調べろ」「ならそちらも検索すればよかろう」それだけのやりとりに想像を膨らませている形である。ページへのリンクも、記事が流れた場合に配慮したわけであり、そのページから別のページに手軽に飛べるのもブログの利点であるのだから、隠そうとしたなど言いがかりも甚だしい。やはりブログの仕組みに対する認識の差が見られる。どちらが正しいというつもりもないが。

また、これを言い換えれば、自身の選んだ「匿名」の「無前提な正当性」を確保しようと思えば、「荒らし」をも含め、「匿名」者を無条件に「良し」としなければならなかった、ということです。
繰り返しになるが、荒らしを良しなどとしていない。匿名が言論の自由に利するところの方が、荒らしによる損害より大きいという主張である。

それと、もう一度言うが実名に繋がるトレーサビリティが無いなら匿名である。批判が自分自身にも向けられてはいまいか?

このように、「匿名者=荒らし」に迎合

なかなか壮観なミスリードである。とうとう匿名者と荒らしが等号で結ばれているのである。私はそもそも議論を妨害する荒らしは否定している。しかしその荒らしは匿名でも実名でも確実に存在するし、匿名化で荒らしが増えるとしても、それ以上に自由な言論に利するところが大きく、結果として議論に有意義だという価値観を持っているだけである。どうしても責任ある発言なるものをやりたければオフラインで行えばいいのであるから

(2005-05-19 19:11:36)
posted by князь Мышкин at 19:11| マイアミ ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | シリーズ寸評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
炎上していると聞いて飛んできました。

・・・何処?
Posted by JSF at 2005年05月19日 23:46
とりあえず暫く様子を見ていると良いと思いますよ。
恐らく小倉弁護士もビックリの「匿名」論を拝聴できるでしょうから。
Posted by 見物人 at 2005年05月20日 00:00
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