2005年08月15日

ソース主義の課題

前回に引き続き、今回はソース主義の話に触れてみたい。
、「ネット右翼」さんのソース主義が、「インターネット上で無償で提供されている(合法性の有無を問わない)情報にほぼ限られ、またそれで足りるという程度のものであることが、しばしば「デマゴーグの既成事実化」を生み出し、現実社会の世論と乖離させることになっていくのですが。例えば、教育機関に対する地方公共団体への補助金の支払いが憲法第89条に違反するか否かを判断するにあたって、補助金の支払い対象が「一条校」か否かを過大に重視する見解を前提とするコメントスクラムがある地方自治体議員のブログで行われていたようですが、「ソース」を紙ベースの資料にまで拡張していけば、憲法89条にいう「公の支配」性の意義等並びに関連判例を調べて、上記前提が正しいのか否かを知ることができたようには思うのです。


というが、これは既に知られた問題である。

ネットにおいてソース主義が出た時点で、偽りのソースを引用してしまうとか、ソースを自ら捏造しようという動きはあったはずである。そしてそのソースの信憑性を吟味することもネットリテラシーの一部である。「嘘を嘘と見抜けない人には(ブログは)難しい」というわけだ。とあるスレでこんなレスが付いていた
>>122
こういうスレの>>1は失笑もののURLや本を出してきてみんなに突っ込まれる、というのがお約束なのに、出来の悪いお手製陰謀論しか振りかざさない

下の下だね。


具体例として挙がっている憲法の例でも同様である。引用ソースがネットの外であっても失笑もののソースは十分あり得るし、とりわけ法律の場合は法解釈の問題もあり、法解釈の訓練を受けていない人の場合は十分信憑性のある文献にあたっても珍妙な解釈をする可能性はある。この場合、コメントよりもそれに対する対応として、ブログ主側がソースの信憑性、またその解釈の正当性を問題にすれば事たると思われるし、その問題は常にクリアせねばなるまい。

デマゴーグの既成事実化は確かに問題だが、その原因はソースが無償提供された(≒当てにならない)ネットのソースだからとは限らない。以前に劣化ウランの話に触れたが、あれはまだどういう影響が出ているか諸説あるはずなのだが、劣化ウランで被爆すると断定的に語る「書籍」もどうやら存在するようである。こういうものは下手をすると「失笑ものの本」となるわけである。結局はどんな情報も吟味する必要が出てくる。

次回は、「証明」の話について考えてみたい。
posted by князь Мышкин at 00:13| ドバイ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 匿名ネットワーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/5898937

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。