2005年08月22日

シャドーボクシングの始め方

いわゆるシャドーボクシングと称される、存在しないか、少なくとも存在を示す確証が無い敵対者との闘争がいかにして展開されるか考えてみたい。

シャドーボクシングを始める第一歩は、ある種の自惚れであると考えられる。「私は正しい」という自惚れである。

これを前提とした者が、ブログで批判コメントを大量に浴びせられたとする。しかも同時に、弁護側のコメントは乏しいという状況である。「私は正しい」ということを前提とするのだから、支持者>反対者でなければならないが、現実は違う。しかし前提の都合から、自分が間違った論を展開したなどという可能性は想定しない。するとどうなるか。

「相手がある思想を共有する組織である」という結論が一つの逃避として考えられる。つまり、潜在的には支持者>反対者なのであるが、反対者がマドハンドが仲間を呼ぶ姿よろしく仲間を呼んで、結果として有り得ない程の反対コメントが寄せられる、と結論するわけである。

言うまでも無くこの場合の問題は、それが組織立った意図的なコメント群であることを示すのが困難なことである。共通項はその炎上したブログやサイトに異議を唱えているということのみであり、しかしながら異議を唱える動機が単一であるとは限らない。その他の共通項を十分に示せた例は、今のところ確認されていない模様である。

そういった理由から、バーチャルネットアーミー、ネット右翼が誕生するのである。してくれないと(炎上したブログの人は)困るのである。ネット右翼が思想的共通項を持たないのは過去にも述べたが、単にしばしば左翼的思想(と自称、他称される)ブログやサイトと対立する場面から呼称されているだけで、同じ人が右翼的思想(とされる)ブログやサイトとも対立することは考えられる。又、そもそも政治的な議題でない場合にも炎上は考えられる。この場合にも「ネット右翼」とラベリングするつもりだろうか。それともポリティカルな議論においての炎上には固有の兆候があり、そこに参加する人物にも共通する特徴があるとでも言うつもりだろうか。今のところ、小倉氏はじめそういったネット右翼を唱える方々の中にそのあたりの証明に成功した人は未確認である。


追記:

ちょっと面倒になりました。また気が向いたら相手をするかもしれませんが。当ブログはお触り自由ではありますが、あまり有意義とは思えないところですのでほどほどに。
posted by князь Мышкин at 00:03| バンクーバー ☀| Comment(1) | TrackBack(1) | 匿名ネットワーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いやだから、あんた、さっきと同じことしか言ってないじゃないっすか。
だから、その「オーディエンス」とやらには「中立性」「公共性」の証明が無い、ってさっきも言ったでしょう。
現に、サイバーカスケードは起こってるっていう状況をまったく無視して、何の議論になるの?
それに、「そのあたりの証明」って現につるんどいて言える台詞じゃないわな。
その手のさ、「俺(ら)だけ納得できればそれで良い」式の議論はやればやるだけみじめだよ。
Posted by トニオ at 2005年08月22日 02:52
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