2005年09月17日

ised倫理研追跡1

isedの議事録を見てゆきたい。今回は加野瀬未友氏の講演を見てゆく。

氏の言明でまず注目すべきは、自分の欲求を率直に述べている点であろう。

このとき恐怖を覚えたのは、誰が書いたのか素性がわからない人間がトラブルを起こしてくることでした。パソコン通信の世界では、トラブルはあっても、相手の特定はできたので、素性がまったくわからないということはなかったからです

サイトは無制限に閲覧できて、掲示板は誰でも書き込めてしまうというインターネットの状況に対して、なにかシステム的に対抗できないかと考え、メーリングリストを選んだわけです

しかし、メーリングリストの弱点はほとんど参加者が増えないことなんです。だんだん投稿するメンバーが固定化する結果、最後には自分しか投稿しなくなり、結局自分のメールマガジンになってしまった

そこで2002年9月に、個人サイトを再開することになります。理由は、やはり新たな読者を獲得したいということでした


ここから、経験則としても多くの読者を獲得しようとすることと荒れのリスクとは切り離すのが難しいという現実が見て取れよう。

日本のネットに対するメディアの認識はおおよそ氏の言うとおりであろう。ちゆ12歳あたりまでフォローしている。

匿名の問題については、実は後の対談での小倉氏の発言などに対する反駁が既に含まれている。
まず、匿名というのは実名の対比ですが、ハンドルネーム(仮名)のある場合と、単に無記名である場合が一緒にされている場合が多い。これは分けて考えなくていけません。というのも、ネットを見ている人はなにを信頼しているのかといえば、それは名前が現実に使われている実名なのかどうかではなく、なんらかの継続性だからなんですね。

この通りだと思われる。例え実名を名乗っても、それまでの実績の無い人物の発言は信頼度が低いと見なされるし、或いは負の実績を積み重ねれば、著名者でも発言の信頼度は落ちるといえるだろう。
仮にネットで実名を使ったとしても、それが本当に実際の人物かどうかを証明するのは難しいために、実名性よりも継続性のほうが重要になるわけです。

こんな講演があった後に匿名であるだけで批判するような発言をする人なんてぶっちゃけありえない。そもそもこれは、言い換えれば名無し匿名での発言は単なるノイズとして無視しても構わないということになるのであるから。

ブログが受け入れられる下地としてのスレッドフロート式掲示板の話には、個人的に追記したい。ブログの場合時系列で並ぶ固定スレッド式ではなかろうか。スレッドフロート式の場合、発言したスレッドが最上部に移動することで、現在発言が活発なスレッドが判りやすいというメリットがある。対するブログでは、最新コメント一覧を用意することで、時系列で固定されながらも活発なエントリを見つける事を容易にしている。

ここで一つプランを出しておくなら、スレッドフロート式掲示板では時折「sage進行」という手法がとられる。活発に話したいものの、部外者をあまり招き入れたくない。そういう時の手法であるが、ブログのコメント欄にもこういうシステムがあると便利そうである(一部MTなどでは改造して導入している人も居るだろう)コメント送信欄に「最新コメント一覧に表示しない」といったチェックを入れるのである。



次回は、講演(2)を見てゆきたい。
posted by князь Мышкин at 00:07| バンクーバー ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 匿名ネットワーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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