2005年09月30日

今日の観察

さて、こちらのエントリである。

既に色々言われているが、小倉氏と私では誇りとは何であるのか、についての見解からして違っているようである。

小倉氏の提案
本心から誇りに思っているのであれば、周辺諸国を貶めることによって相対的な優位性を確保しようとするのではなく、その絶対的な優位性を前面に押し出せば足りるはずです。

ここに既に違和感を覚える。少し文字を操作してみよう。

本心から誇りに思っているのであれば、他の職業を貶めることによって相対的な優位性を確保しようとするのではなく、弁護士の絶対的な優位性を前面に押し出せば足りるはずです。

これである。小倉氏に言わせると、こういうことが誇る、ということになるようである。

ちなみに他にも操作すると面白い場所がある。
もちろん、「実名」というのは──単に匿名でないという意味で用いた場合には──本名を名乗ったという以上の意味はないのであり、大抵の場合、「私は**です」と自己申告し、あるいはそれについての一応の(プロバイダのメールアドレスで連絡するなど)証明をして、「実名」となっているわけで、そこには特に「誇るべき何か」というものはありません。したがって、ことさら「実名である事を重視する」こととしようと思ったら、「匿名の人物」を貶めることによって「実名である事」の相対的な価値を上げるのが一番お手軽です。だからこそ、「実名主義」を正当化するのに、「匿名の卑怯者」を持ち出す方々が少なからず出てきます。


それはさておき、小倉氏は誇りというものをやはり勘違いしている。誇りは他者と比較して、(相対的に)優れている箇所や、ほぼ無論のこと(絶対的な)価値があるとされるような箇所を理由としてしか、誇れないと思っているようなのである。

確かにそういう誇りもあるのだろうが、「日本人である事を誇りに思う」というような言い方をした場合、語義が違うはずである。

ここでいう誇りとは、肯定する、認めるというような意味合いであり、殊更に優れる必要は全く無い。人間は誰しも自己を肯定して生きようとするし、それは健全な精神であろう。基本的には全体として自己肯定するのだが、それが具体化すると「日本人である事を誇りに思う」であるとか、「自分の仕事に誇りを持つ」となるわけである。仕事などわかりやすい。この場合は弁護士であろうと配管工であろうと、仕事を誇りに思うことを否定されないはずである。相対的優劣はもちろんのこと、絶対的優位にある必要すらない。自己肯定という意味での誇りとは、そういうことである。

ここで述べた「誇り」とは「自己肯定感」と置換できよう。自分を肯定するのに、他者と比較する必要は実は全く無い。それどころか何か特別優れている必要もない。私は「私は私のままでよい」この自己肯定感の、部分具体化が「日本人であることを誇りに思う」の正体であると考える。これは内部の特性に具体化したわけだが、外部に延長して具体化することも考えられる。「私は子供を誇りに思う」というのがそれに該当するであろう。この場合、特別優秀であったり、特別な功績を残した子供しか誇ってはならないといえようか?否。ちょっと出来が悪かろうが、自分の子供を誇ることを否定できようはずもない。


私はむしろ小倉氏の精神状態が心配である。本来、誇り≒自己肯定感は誰もが持って構わないはずなのだが、それを優劣で決めようとするのは、氏が無条件的自己肯定感をまともに形成できなかった可能性を示唆する。

自己肯定感子どもの頃の発達と密接に関わるようであるが、ここでなんらかの問題があったのではないかと勘繰ってしまう。
さて、先に挙げた「失敗したって、怒られたって、私は私。生きていていいんだよ」という言葉を、
「I'm OK !」と表します。いわゆる、自己肯定感です。
この「I'm OK !」という考え方を、私たちは子どもの頃に学びます。
これをうまく学ぶことができた人は、自分のいいところも悪いところも知り、
自分を丸ごと受け入れて、自分のペースで自分の人生を生きていくことが上手です。

小倉氏は自分の悪いところ、失敗を受け入れられているだろうか。
「いつも世話をしてくれる優しい人がいる。
すごくいい人だ。
その「いい人」からこんなに可愛がってもらえるんだから、
きっと私も「いい人間」なんだ。
何もできない私でも、いい人間なんだ。
ありのままでいいんだ。」
この考え方こそが、自己肯定感です。たいていの人が、赤ちゃんの時に自然に身につけます。
この安定した認識があると、非常に自分を大切にできるのです。

こういう、自己肯定感を小倉氏は身につけられなかったのだろうか。やはり少し心配である。

でも、失敗した自分を受け入れられない人もいます。
「成功しなきゃ、頑張らなきゃ、一番にならなきゃ」
そう思い続けながら、子ども時代を生きてきた人です。
そういう人は、失敗した自分を赦すことができず、自分で自分を責め立てます。
「なんてことをしたんだろう!私さえいなければ、仕事がうまくいったのに」


優位性がなければ誇れない、というのはコンプレックスの裏返しのように思えてならない。
posted by князь Мышкин at 00:07| バンクーバー ☔| Comment(4) | TrackBack(2) | 匿名ネットワーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ちょっとお邪魔します

彼の場合、失敗してもそれを周りから肯定されて失敗を恥じだと思わなくなっているんじゃないですかね?
だから全体的に間違っていても気が付かない。間違いを指摘した人間が居たとしても、その人間の枝葉末節を隅から隅まで見て枝葉だけを批判(それはピントが外れている)をして自分が正しいって自意識を維持しているようにしか見えないです。
ファイルローグとかでも、なぜ負けたかの彼の意見を待っていたのだけれど全然書かなかった(予想通りだったけど)。要は、自分が不快だと思うものに対しては無視を決め込むと言うか…
コメント削除に対しても同様の傾向が見えますし…

サスケット隊長くらいに完膚なきまで集中砲火で白旗を揚げさせないとダメなんでしょう。
Posted by sakimi at 2005年09月30日 00:48
>sakimi氏
どうなんでしょうね。私は今回「間違いを恐れるあまり、そこから目を背けるようになった」という説でエントリを書きました。いずれにせよ「幼少期に何かありましたか?」と聞いてみたいという感じです。いくつもコメントがついた後に尚

 「日本人であることを誇りに思う人」の「誇り」というのが、
 
 この世に生を受けたと言うこと
 親から生まれたと言うこと
 名前を付けたもらったこと

程度のものであるというのは勉強になりましたが。

ですから…
Posted by Мышкин at 2005年09月30日 01:34
この件に関して何か書こうかと思ってたんですが、流石に…何と言うか、煽りとか嘲り無しに、可哀想というか、悲しいという感覚しか持てなくなりました…
↑で引用されてます部分、人間が一個の人間として自覚し自立し、個対個として係わり合いお互いの尊厳を尊重するために一番大事な部分じゃないのかな…
それが彼にとっては「どうでも良いこと」なんですね…

黙ってりゃ良いものを、ここまで吐きにきてしまって申し訳ありませんでした。
Posted by cio at 2005年09月30日 09:25
>cio氏
いえいえ。書けるときに書ける場所に書き留めておけばいいと思います。

そもそもここはチラシの裏d(ry
Posted by Мышкин at 2005年09月30日 18:51
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