2005年10月14日

誇りなき言明

数回にわたってお届けしたSchwaetzer氏へのお答えであるが、新エントリが出来たようなのでそれについても書き込んでおく。

ナショナリズムなんてフィクションだ、だからマジになると危険だ、(コメント欄の反応を見て)ほれみてみろ、マジになってるじゃないか、だから言わんこっちゃない、というのが小倉先生一流の皮肉というかイヤミというか悪人ぶりなのですね。ま、インテリぶってバカにしているわけですな。(へへへ)

その上で言うと、わたしにとってナショナリズムは「ネタ」だ、です。

ネタであろうとマジであろうと守らねばならない事がある。論理的整合性である。ネタといえども論駁されて追い込まれてはならない。むしろ、ネタの場合は相手の反駁にたいするリアクションとして真っ向から相手を再論駁し閉口させるのではなく、時に隙を作り、時にはぐらかし、時に論点をぼやかすなど各種詭弁を、しかも詭弁と気づかせぬような巧妙さで展開し、しかし一定の説得力を論敵や聴衆にもたらす。高度な言語ゲームである。論理的に追い込まれたからといって、「ネタでした。なにマジになってんのw」と嘲笑することはネタとしてはかなり下衆な方ではなかろうか?

こういう時思うのは

スレと関係ないんだけどさ、俺「釣り」とか「釣り師」っていうのは、
   釣り師→ ○  /|←竿
          ト/  |
          │.  ~~|~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
          八   §←餌(疑似餌)     >゚++<

の組み合わせだと思ってたんだけど、
最近自称釣り師がダイレクトで自分の本音を攻撃されて「釣れた!」とか
言ってるの多いよね。
 これは、どっちかというと、

      ..釣れたよ〜・・・│
      ────y──┘
 
          ・゚・。 ○ノノ。・゚・
    ~~~~~~~~~~│~~~~~~~~~~~~~~~
             ト>゚++< ミ パクッ
       バタバタ  ハ
           ノ ノ


こういう展開に、今回の一件もなりつつあるのではないか?とおもわれてしまう。
Schwaetzer氏も、(もし同じ意図だとしたら)小倉氏も、自分が何をやったのか判っているのだろうか。何を大事に思い、何を誇るかは自由である。それを公然と侮辱した形になりかねないのだが…これをどうするつもりであろうか。今後の展開を見守りたい。
posted by князь Мышкин at 00:45| バンクーバー ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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