2005年10月15日

さあ苦しい言い訳をはじめようか

あちらに書き込もうかと思ったものの、コメント長くなると読みにくいのでこちらに書いてリンクの方向で。

せっかくなので簡単に『自明』の誤用について自己弁護(≒プーギャハクス、と失笑を買う見苦しい言い訳)もしておきましょうか。

たとえばラーメン。(またラーメンか)「ラーメン大好き」と率直に述べる人が居た。その人に「お前は何をラーメンと言っているのだ!」「あ、いやラーメンはラーメンなんじゃない?」「じゃあこれを見ろ
http://www2.gnavi.co.jp/ramen/shop/jp/g617500n.htm
ぶぶかの油そばだ。これもラーメンだが、好きか?!」
「へー、そういうのもあるんだ。でもそれはちょっとなぁ…」「ほれみろ、ラーメン好きといいながらぶぶかも知らなかった。そもそもラーメンとは…」

こんなやりとりをしたとして、最初の小池さんは「ラーメン好き」ではなくなるのでしょうか。「ラーメンはフィクションだから、マジに好きになるのはイクナイ」のでしょうか。

ラーメンという枠組みは割といい加減で、というより各地で各店でオリジナルのラーメンを作っており、ラーメンの味のイメージはそれこそ人の数だけあります。具体物なのに。でも「ラーメンは自明のもの」と素朴に言ってしまっていいのではないでしょうか。

私は日本についても同じように考えています「日本」という枠組みはいい加減だろうけれど、素朴に「日本」としてしまってよいのではないか、と。

そもそもラーメンや日本に限らず、世の中の自明のものの多くは、突き詰めてみると互いにイメージを共有してすらいない場合は多々あるように思われるのです。そう、私にとって自明、常識、あたりまえほどあてにならないものはなく、そういうのは大概深く考えていないだけで、突き詰めると全然自明じゃない「ということが自明の前提」であったのです。このあたり説明しなければいけませんでしたね。

Schwaetzer氏はどうやら「日本という枠組みは自明じゃない。よくよく話し合ってみろ。人によってバラバラだから。しかもその雛形は明治ごろにでっちあげられているんだから」と言いたかったようですね。そしてそれに私が反対していたと思っておられたようですが、少し違っていて、私は「世の中よく突き詰めると違ってるものをいい加減に自明のものとしてるなんてありふれてるし、それに古来の風習と思ってるものが実は最近出来上がったなんてこともよくあるから、わざわざ厳密にせずに”自明”のままでいいんジャマイカ?」

まあこんなところです。

たった今すごくいい(と自分では思っている)ネタを思いついたのですが、ネタなので次回。
posted by князь Мышкин at 00:11| バンクーバー ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めまして、Scwaetzerさんの所を発見し、ここに飛んで
参りました。お二方の議論の詳細は全然読んでいませんが、
一つだけ注意を。Scwaetzerさん自身が
>あとづけで言葉の概念を変更して「ほれ反論せんかい」っ
と書いた理由の詳細は知りませんが、少なくともあなたの
「自明」の言葉の用法、および、
>わざわざ厳密にせずに”自明”のままでいいんジャマイカ?
は致命的におかしいです。と、言う事を一言注意したかった
のです。
 それは他人、特に顔色も分からない他人と議論する際には
きちんと用法が決まっている単語を自分色に染めて使って
しまってはそもそも議論以前にコミュニーケーションが成立
しなくなってしまうからです。どんな言葉や概念でもあまりに
厳密に考えていけば各人各人の脳みその内容が違う以上、
一つの言葉、概念に対するニュアンスが微妙に違ってくるのは
間違いないのは確かです。でもそれこそ貴方自身が表明
なさっているように一般常識の範囲内で「自明な用語法」
としての「自明」という言葉がある以上、それを越えた
用法でこの言葉を用いてはいけません。繰り返しますが、
それは貴方自身の言葉からも分かる事です。あえて
重ねて言うと、ラーメンのたとえで言うと貴方がラーメン
の話を直接声も聞こえなければ顔も見ていない他人と
議論していて、相手の「ラーメン」という言葉が実は
「ぶぶかの油そば」以外を意味していない、という
事が判明したら、その人のことを「変だ」と思いま
せんか?これじゃまともな議論ができないよ、て
思いませんか?貴方の用いている「自明」の用語法と、
議論の際に使われる「自明」の用語法との関係性では
たとえの方向性が正反対になっていますが、要するにまともな
コミュニケーションがとれなくなる、と言う意味では
効果は同じだ、ということを是非理解して欲しいです。

 最後におまけで2つ程。
付け加えておくと自明に対応する元々の外国語trivialは、かの
トリビヤの泉にでてくるように、貴方が考えていたような意味
ですが、議論等で用いられる場合英語でも日本語でも「圧倒
的多数の人々が議論の必要性が無いと考える」ような
事柄に使われる言葉です。勿論そのような正しい使い方を
してもなお(そうでない事は元のあなたの記事で
分かりましたが)「「日本」は自分にとっては自明だ」、と
思っていたとして、その事を表明してもそれは単なる表明で
他人との議論には何ら意味をなさないものです。
勿論議論中でも相手に自分の信念を知ってもらいたい、
と思って記述するのは何ら問題ありませんが、それだけの話で
ある、という事です。
 2つめは雑誌等の記事で左右問わずとても自明でない事柄を
「自明」の一言で片付ける人たちがいますが、ある記事を
読んで「自明」を私が書いたような「自明でない事」に
使用しているのがあったなら、その人がどんなに著名な人で、斯界で権威がある、という評判の人であっても、その言説に限っては眉に唾を付けて読んだ方がいいです。
それは自分の言説に自信が無いとき、あるいは真面目に
議論する気が無いのに真面目なふりをする時の典型的な
取り繕い方です。なお一般に文系に多く見られ、理系では殆ど
ありません。では理系の人間の方が高尚か、というとそうでは
なく偉大なるガリレオに見習って「でも、自分はそうは思わな
い」、「到底そうとは思われない」といった議論にならない
「表明」を行ってなおかつ議論を進めていこうとします。
ちょっとした「トリビア」、と言う事で。
Posted by なすび at 2005年10月15日 00:00
どうも、はじめまして。

>>わざわざ厳密にせずに”自明”のままでいいんジャマイカ?
は致命的におかしいです。と、言う事を一言注意したかった
のです。

まず結論から申しますと、此度の議題が「真のナショナリズムとは何であるのか」というような話であるなら、『日本』を自明の概念として扱うのは致命的でしょう。しかし、当初から「世間様一般における」日本を誇りに思う、という感情を問題にしていた現状では、手を加える必要が無い、と考えた次第です。

例えば、「貴方を信じてる」とかいう歯の浮くような台詞が出てきたとしましょう。「信じる」という心のはたらきを自明のものとして扱います。しかし…私が「信じる」と呼んだ心のはたらきと、誰かが「信じる」と言った時のこころのはたらきは果たして一致するでしょうか。自明の「信じる」ことは、実は自明ではありません。

この「信じる」ことについても、貴方の言うように厳密に運用する必要が出てくる場合があります「真の信とは何か」というような議論をする場合ですね。「親鸞が言う信とは何であるのか」なんてことを問題にするとき「信じるは信じるだろ」などとしてしまうとまさに致命的です。

しかし、「だから、普段の暮らしでも”信じる”なんて安易に使っちゃ駄目だ」とはならないと思われるのです。あるいは「”信じる”ということをよく知れ!」とも。もちろん、本人が安易に使わないとかよく知ろうという信条を持つのは自由です。しかし他人に押し付けはできない。


この「信じる」という語と同様の仕方で「日本」という言葉の意味を「自明のもの」としたわけです。「日本という概念の歴史的変遷」などを問題にするなら、日本とは何なのか、やり過ごさずに論究しなければなりますまい。しかしだからといって、世間様一般で「
私は日本を誇りに思う」ということ、思うことまで憚られるとは、到底考えられないのです。そして今回はその世間様一般の感情を問題にしていた。だから「日本」という語をユルく扱って差し支えないと思うのです。そういう意味で「日本は自明」と言ったのです。

ゆえに、説明不足ではあったとは思うのですが、当初から今に至るまでの「日本」という語の運用も、「自明」という語の運用も、私は途中で改ざんもしていなければ、一般的用法から外したとも思っておりません。

むしろ、一般的用法ではない「日本」を問題にしている場に私が迂闊に一般用法として、ユルみきった「日本」を持ち込んだから問題になった、と言った方が妥当な状況説明かもしれません。
Posted by Мышкин at 2005年10月15日 01:44
残念ながら僕の言いたかったことを理解していただけ
なかったようですね。ちょっと考えれば「日本は
自明」という言葉は私のいった「圧倒的多数に対して
議論する必要は無い」ような命題では無いのですから、
決して人との議論の際に「日本は自明ですよ」と言うのは
まずいのです。例えば「日本に生まれ育った、大和民族の
人間にはその内容が何であれ、各人が「日本」という言葉を
聞いたとき自分それぞれのイメージが(あいまいとは言え)
浮かぶと思います。」と言う風な書き方ならScwaetzer氏が
それにも異を唱えるかも知れないが、一応議論が進んだ
とは思います。ここは貴方のブログですし、単なる通り
すがりが出しゃばるのもなんですが、日本を愛するなら、
母国語と、明治以前からある思想概念と西洋由来の
ものをスムーズにつなげられるよう努力してきた
先人の努力を軽んじることのないよう祈っています。
Posted by なすび at 2005年10月15日 23:00
>なすび氏

>決して人との議論の際に「日本は自明ですよ」と言うのは
まずいのです

それを言ってしまうと、厳密な議論ではいかなる概念も自明とするのはいただけません。

仮に今回の件で「日本とは」が問題になるとすれば、世間で通俗的に「日本を誇りに思う」という時に自明としてやり過ごさずに居る場合ですが、信じる、という言葉同様自明のこととしてやり過ごされています。その現実ゆえ「日本は自明」としたわけです。


これが例えば「私(Мышкин)が日本を誇りに思うと言った時の日本とは」とした場合、それなりの説明もできましょう。しかし今回はあくまで一般論としての日本です。一般にその事について話し合わずにやり過ごす以上、「自明」としかやりようが無いと思われるのです。

>ちょっと考えれば「日本は
自明」という言葉は私のいった「圧倒的多数に対して
議論する必要は無い」ような命題では無いのですから

ですので、「日本とは」という議論をするなら、その概念について話し合う事もできましょう。しかし…問題になっていた「日本を誇りに思う人」は私でもScwaetzer氏でもなく(双方を含みうるけれど)世間様一般の人々のことです。

ですので、一般に日本がどう思われているか、についてあの場でいくら話してもどこへも辿り着けません。統計でもとれば一応の統計結果は出ましょうが、その結果如何が議論の結果に関わらないように進めたつもりです。
Posted by Мышкин at 2005年10月15日 23:18
すみません、ちょっとここに寄ったのですが酒が
入っていて眠たくなったのでまた後で。酔った勢いと
パリーグ優勝決定戦がまたあと一つある喜びでいっぱい
なので。
Posted by なすび at 2005年10月16日 21:46
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