2005年10月16日

自明とは?

あちらでも書いたのだが、すれ違いになっていた一番の理由が見えてきたかもしれない。

Schwaetzer氏はどうも、自明ーフィクションを対義語として扱っていたようなのだ。しかし私はそう扱わなかった。それだけのようである。そして氏は「日本はフィクション。だから自明じゃない。どうしてそれがわからない」という一点に拘っていたようである。

私はもうその議論の早い段階で、「自明であることとフィクションとは対立しない」と言っていたのだが、綺麗に見落とされてしまっていたようだ。

私も「自明」の扱いについて説明不足な点があったのではあるが、氏の自明は少々含みが大きすぎるのではなかろうか。あちらでも述べたが

今気づきましたが、貴方は「自明」という言葉を「昔から今まで、普通に存在していた。」とかそういう意味で使っていませんか?そうなると貴方が対立概念としたフィクションは「ある時意図して創造された」となりますか。私は「ある人の中で特別の説明が不要」という範囲でのみ自明、としております。世の中見渡すと、昔はなかったのに今はあたりまえに存在するものは多々有りますので。

という可能性がある。

だが…繰り返しだが「自明」と「フィクション」は対義語か?とりあえず「フィクション」と「ノンフィクション」から考えよう。これは反対の意味だ。では次に「自明」と「ノンフィクション」を比べてみよう。ノンフィクションは自明だ、と言えようか。
posted by князь Мышкин at 00:44| バンクーバー ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
違う、だそうな。
しかしそうなるとまた別の問題点が…
Posted by Мышкин at 2005年10月15日 19:30
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